体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

夏休みが終わろうとしています

夏休みが終わろうとしています。この時期、わたしは子ども時代、いつも宿題に追われ、「来年こそは早めに宿題を終わらせよう」と思っていましたが、その反省が生かされたことはありませんでした。

中学二年生(以前の記事に登場した、わたしの「小さな弟子」、ガクトです)の勉強の面倒を見ていますが、彼もわたしと同様です。始業式前の登校日に提出する作文と英語の宿題について応援してくれと頼まれましたが、これが大変でした。英語の宿題は大量で、半分ほどやってはいたのですが、どう考えても、終わりそうにありません。

わたしが添削した作文をガクトが清書している間、わたしは彼に代って英語の宿題をやっていました(ナイショの話です)

この時期は、子どもにとって辛い時期です。宿題と格闘しなければいけないということもありますが、学校でいじられたり、いじめを受けたりしている子どもにとっては、特にそうでしょう。

先日(8月26日)の朝日新聞に「学校つらい君 何も悪くないよ」というタイトルの記事が載っていました。筆者は、中学時代にいじめられた経験のある、ユーチューバーの葉一さんです。いじめを受けながら「悪いのは自分のほうだ」と思ってしまう子どもが多いようです。

『僕は12歳』という詩の本があります。作者である12歳の真史(まさふみ)君は、自ら命を絶ちました。

「ひとり ただくずれさるのを まつだけ」

詩中の言葉です。

真史君は、作家の高史明(コ サミョン)さんの一人息子。高さんが真史君の詩を集めて出版したのが『僕は12歳』です。

真史君の詩に深く共感し「死にたい」と思う中高生もいるはずです。そのような若者に向かってわたしは、強くこう言いたいと思います。

「どのようなことがあっても、死んではいけない!」

ブログに連載中の「14歳の君へ」を一冊の本にまとめる方向で仕事を進めていますが、拙文の根底には、「生きる勇気をもってほしい」という若者への思いがあります。

いじめや、裏切り、蔑みがどこにでも存在するこの世界は、まさに汚泥(おでい)と言ってよいでしょう。ですが蓮の花は泥に染まることなく美しい花を咲かせます。

法華経』は、「汚泥の中にあって、誰もが白蓮華のように美しい花を咲かせることができる」と説いています。「汚泥不染(おでいふぜん)」は『法華経』の重要メッセージです。

このメッセージを多くの若者に発していきたい。それがわたしの願いです。