体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

本物を求める人は少ない

先日、我が家に来訪した長男と久しぶりに酒を飲みましたが、息子は驚いたように「おやじは、いつもこんな酒を飲んでるの」と言いました。

わたしが飲んでいる日本酒は、スーパーで最安値のもの。長男は家では上質の日本酒を嗜んでいるようで、その味と我が家の酒の味は、大きな隔たりがあったようです。

特に長男が裕福であるわけではありませんが、彼は日本酒の味には、こだわりを持っているようです。

わたしは、かつて俳人でしたが、俳句の初心者に,「駄句には触れず、常に良い俳句と接するるように。そのことで俳句の良し悪しが分かるようになってきます」と指導していました。これは俳句に限ったことではありません。日本酒も常に上質なものに触れていると、一口味わっただけで、その酒の品質の違いが分るようになるようです。

わたしは酒の味に無頓着ですが、わたしに限らず、本物の味を追求している酒飲みは少ないようです。上質の酒は値が張るということもありますが「それなりに味わって気分よく酔えればよい」というのが大方の酒飲みなのではないでしょうか。

さて、宗教の世界にあっても本物志向の人は少数のようです。仏教で言えば、釈尊の目覚めを目ざして、宗派によって修行方法は異なれど、ひたすら一本の道を進んでいくのが本物志向です。

神仏と呼ばれる大いなる存在にすがって、世俗的な願いを叶えようというのは、釈尊本来の仏道ではありません。

などと書くと、このブログの読者は減少するでしょう。実際、連載中の「14歳の君へ」よりも身辺雑記のような記事の方がアクセス数が伸びます。

決してわたしはこの事実を嘆いているわけではありません。健康で経済的に困窮せず良好な対人関係の中で楽しく生きたいと願うのは人として当然のこと。

わたしの文章を読む時間が、皆さまの人生の中で、一杯のコーヒーやお茶を飲む時間のように寛(くつろ)ぎの時となるのなら、これは嬉しいことです。

「14歳の君へ」は、本気で仏道を志向する人のために書いています。現実に本気で仏道を歩むことに関心を持つ14歳はまずいないでしょう。そのことは承知しています。にもかかわらずこの連載を続けてきたのは、ひと言で言えば、拙文が世俗の世界を超えた、目に見えない真実の世界があることに気づくきっかけになればと考えているからです。

また、この世界に気づくことなくして真実の幸せに出会うことはできないとも考えています。

『教祖完全マニュアル(ちくま新書)』という本を読んだことがあります。そこには、信者の獲得の仕方、集金方法、組織のつくりかたなどについて実践的な方法が示されていました。

わたしは、教祖になるつもりはありません(なりたくても、カリスマ性がないのでなれないでしょうけれど)。多くの人からの支持を得ることを目的としていません。

ごく少数でかまわないので、本物の仏道を歩むことを志向している仲間とともに道を歩んでいきたいと願っています。