体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

坊主のすすめ

f:id:kasinoki1957:20211026075318j:plain

坊主のすすめ。お坊さんになることをおすすめするわけではありません。「坊主頭になることをおすすめします」という意味です。でもそう言われて、すぐに「では、頭を坊主にしましょう」という人は、まずいないですよね。

かく言うわたしも、教員時代に坊さんになる覚悟を決めて、修行をしていましたが、退職するまでは有髪でした。

いきなり坊主頭にして教室に入ったら、生徒から「おっ、先生どうしちゃったの?何か悪いことでもしたんですか」などと言われ、説明するのが面倒くさいという思いがありました。また、伝統仏教以外の宗教を信仰している家庭の生徒もいましたので、仏教色をあまり表に出さない方がよいだろうという判断もありました。

そういえば私が五十代前半のころ、生徒間で「小島ズラ疑惑」が浮上したことがあります。小島は禿げ頭を隠蔽するために、あまりふさふさしたカツラを被っていると却って不自然なので、薄毛のカツラを被っているのではないかという説が流布したのです。

さて、なぜお坊さんは髪の毛を剃るのか。それは雑念を払うためだと言われています。さまざまな髪形がありますが、髪があればどうしてもカッコよく髪を整えたいと髪に意識がいきます。有髪時代、わたしは養毛剤選びに余念がありませんでしたが、そのようなことに時間を費やしていたのでは修行に身が入りません。

放って置くとどんどん伸びる髪の毛は、食欲、肉欲と言った煩悩エネルギーの象徴で、それを削ぐことを意識するために僧侶は剃髪するのだという説もあります。

というわけで僧侶は髪の毛を剃るわけです。浄土真宗のお坊さんは、有髪の人が多いようですが、わたしは日蓮宗の坊主ですので、週に二、三回、自分で頭に剃刀を当てています。

私が坊主頭をおすすめするのは、とにかく樂だからです。入浴後、ドライヤーで頭を乾かす必要がなく、整髪剤も養毛剤も要りません(我が家の洗面所の棚には、不要になった養毛剤が並んでいます)。さっとタオルで拭くだけでオッケー。感動しました。

東洋医学に詳しい人から、髪を剃ると頭皮から邪気が抜けやすくなり、健康上非常によろしいという話を聞いたこともあります。

ですが、髪の毛が無くなっても、わたしの煩悩はなくなりませんでした。あまりシャカリキになって煩悩を排除しようとすると、却って煩悩の炎は燃え盛るようです。

お釈迦様は中道を説かれました。煩悩を忌諱せず、味わい観察することで目覚めが起こるということもあるようです。

ということで、今日も煩悩君とうまく付き合いながら、仏の道を歩んでまいります。