体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

「宗教」ではなく「道」を生きる

 

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受験のシーズンとなりました。教え子の息子、ショウゴ(仮名)が、かつて、わたしが勤務していた高校を推薦入試で受験することになり、指導を依頼されました。

推薦入試には、個人面接があります。面接試験のポイントは、受する高校が求める生徒像を的確に理解し、それに合わせて自分を語ることにあります。

ショウゴは、サッカーが得意な中学生です。わたしは彼にこんなアドバイスをしました。

「君は、ポーツ推薦で受験するわけではない。だから、中学時代にサッカーの地区大会で所属チームが優勝したことを語っても意味はない。サッカーについて聞かれたらなら、志望校が求めている生徒像に合わせて、『サッカーを通して仲間と協力することの大切さを学びました』と答えたらよい。君はコミュニケ-ション能力があるから、その力を身につけることができたと答えるのもよいだろう。

そのあと、「間違っても、志望理由を訊かれた際、『家から近いからです』と答えてはいけないよ」と言ったら、「それは言いませんよ」と苦笑していました。

どの高校も育成したい生徒像を持っています。面接試験を上手く切り抜けて入学できたとしても、実際にその高校の持つ生徒像にそぐわななかった場合、学校生活を送ることが苦痛となります。

学校教育とは生徒を一つの型にはめることであるといってもよいでしょう。髪や服装について細かい規定のある学校で、髪を染めたり自分に合ったファッションを追求することはできません。

時代によっては、国家が求める国民像に合わせて生きていくことが強いられていました。

第二次世界大戦中、米英の思想家や文学者に共鳴していたとしても、そのことは周囲に言えませんでしたし、西洋音楽を楽しむこともできませんでした。国家神道体制の中で、仏教者は国の意向に沿って布教せざるを得ませんでした。

教育者や宗教者は、理想とする人間像や世界像を持っています。それは、いつの時代も時代精神の影響を免(まぬが)れることはできませんでした。

近代以前、釈尊の教説は「仏道」と呼ばれていました。明治期に入って、それを宗教学者が仏教と呼び始めました。キリスト教イスラム教と比較する上で、そのほうが都合がよかったからでしょう。現代、その仏教という言い方が社会に定着しています。

このブログのタイトルは「体験する仏教」です。ですが、わたしには、仏教という一つの宗教を信仰しているという意識はありません。仏(釈尊)の説かれたことは、「人はこのように生きなければならない」という規範ではありません。それは体験によってしか得ることができないものです。

さきほど、パソコンに「道」を入力する際「未知」と誤変換してしまいました。そこで改めて、釈尊の示されたものは、仏教と呼ぶより、仏道と呼ぶことが、ふさわしいと実感しました。

「教え」には、理想とする世界像、人間像、言い換えれば明確なゴールがあります。しかし「道」はどこまでも果てしなく続き、そのずっと先は未知なる世界です。

これは仏道だけではなく、剣道や茶道など、「道」が付くものは、どれも同じでしょう。仏の道を歩んでいると、新たな世界が現れてきます。それは、既知のビジョンではなく、想像もしていなかった世界、良い意味で想定外の世界です。そこにわたしは、仏道を歩む楽しさ、仏道の魅力を感じています。

本当は、人生もそのものが、誰かの描いた理想像に向かって歩むのではなく、自分だけの道を、釈尊の言葉を借りれば、「犀(サイ)の角のようにただ独り歩む」ものであるのだと、わたしは考えています。

教員時代、教育委員会や勤務校が理想として掲げる生徒像に向かって生徒を育成するようにはしてきましたが、実はそのようなことは、真に生徒と向き合う上では、どうでもよいことだと思っていました(退職した今だから言えることです)。

自分だけの道を、他者を寄る辺とするのではなく、内なる自己を寄る辺として歩んでほしい。そのような思いで生徒と向き合ってきました。

ショウゴには、また数日後に、推薦入試の作文を、学校が求める生徒像に沿った形で書く指導をします。ですが、本心からわたしがショウゴのために願い、祈っていることは、誰かに媚(こ)びることも、支配されたり依存することもなく、自分だけの道をしっかりと歩んでいくということです。