体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

超能力ってホントかなあ?

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 法華経を読むと、お釈迦さまがすごい超能力を具(そな)えていらっしゃったことが分ります。お釈迦さまの十大弟子の一人、目連尊者は他の弟子に抜きんでた超能力を持っていたとも言われています。

サイコキネシス(念力)、クレヤボヤンス(透視)、テレパシー(精神感応)は、よく知られた超能力です。

仏教では超能力のことを神通力といいます。お釈迦さまやそのお弟子さんが神通力を有していたというのは、単なるお話なんでしょうか。

友人に「わたしは、お釈さまは実際に神通力を発揮していらっしゃったと確信している」と言ったら、「君はファンダメンタリストか」と言われました。ファンダメンタリスト原理主義者)とは、「教(経)典に書いてあることは、すべて真実で作り話など一つもない」と信じる人のことです。キリスト教ファンダメンタリストは、聖書に書かれてある通り、神が天地を創造したのだと確信しています。

わたしはファンダメンタリストではありません。法華経には譬喩(ひゆ)的な話が多く収められているけれど、お釈迦さまが人知を超えた不思議な神通力を持っていらっしゃったというのは、譬喩ではなく客観的な事実である。そう私は考えているのです。だって、このわたしでさえ、ささやかな神通力を発揮しているのですから。

三十代後半の教え子に頼まれて、彼の小学校高学年になる息子とその友人に勉強を教えていたときのことです。休憩時間にトランプを裏返して、そのカードの色が赤か黒かを当てる遊びをしました。確率から言えば、平均すれば十回に五回は当たるということになります。ところがなのです。一人の小学生君は、十回やって十回的中。十四回やっても当たり続けるので、怖くなったようで「先生、もうやめる」と言い出しました。もう一人の子も同じような結果を出しました。

彼らは透視能力を持っていたのでしょうか。実はそうではないのです。

カードをテーブルに置くとき、二人にに気づかれないように、わたしはチラッとカードの色を見ます。そして色を当てようとしている子に向かって、赤だったら「赤だ、赤だぞ!」と強力な想念を発するのです。すると子どもは素直で、わたしのことを信頼してくれているので、スッとわたしの想念を無意識にキャッチして「当たった!」ということになるのです。つまりこれは透視能力ではなく、テレパシーによるものであったのです。

電話がかかってきたとき、ふと太郎君の顔が浮かび、電話に出たら太郎君からだった。そんな経験をした人もあると思います。テレパシーというのは、けっこうありふれたことなのです。

トランプの色あてにあたっては、子供が想念をしっかり受け取ってくれるよう、わたしは全身全霊で想念を放ちましました。終わった後はかなり疲弊しました。これはありふれたことではないでしょう。簡単にできることではありません。

何を自慢しているのでしょう。こんなことに全精神を集中させるなんて、ほんとにわたしはアホだと思います(「つまらぬことに集中せず、唱題に集中せよ」という師匠のお叱りの声が聞こえてくる気がします)。

後でひとりでこの透視実験をやった子どもは「あれ、どうしちゃんたんだろう。全然当たらないや」と思ったことでしょう。

お釈迦様はトランプの色の透視など遥かに超えて、人の内面まで見通すことがすことができました。これを他心通(たしんつう)といます。さらには人の過去世まで見通すことができたのです。これは宿命通(しゅくみょうつう)と呼ばれています。もちろん優れたテレパシー能力も具えていらっしゃいました。これは天耳通(てんにつう)といいます。ここで詳しくは述べませんが、お釈迦様は他にもさまざまな神通力を発揮しています。とにかくお釈迦様は偉大な神通力を具えていらっしゃたのです。

この話を小学生の子どもにしたら、小学生君はわたしにこんなことを言いました。「もしお釈迦さまが今、生きていたら、絶体にテレビの超能力の特集番組に出てますよね」

わたしは彼にこう答えました。「残念ながら、お釈迦様は絶対に超能力特集番組には出ないだろうね」

お釈迦さまは、自らはもとより、お弟子さんたちが人々の前で神通力を示すのを禁じました。それを見せることは、人々が癒されて目覚めるのに何の意味もないからです。むしろそれは人々を依存させ、人々が目覚めるためには弊害になるとお考えになったのです。

禅定、三昧と呼ばれる瞑想を深めていく(私の場合は、唱題がこれに相当します)と、自然と五感を超えた、まだ科学では解明できない能力が育まれていきます。ですがこれは、決して執着して追い求めてはならないものです。これに魅せられると、地下鉄にサリンを撒(ま)いた宗教の教祖のようになってしまいます。

アブナイ、アブナイ。トランプの色当てではなく、唱題に集中することにいたしす。