体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

生まれて来ることができなかった子ども

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二十年以上昔の話です。わたしのクラスにT君という、水泳部に所属している明るくてアクティブな男子生徒がいました。彼は一年間アメリカに留学することとなり、「頑張ってこいよ」と、わたしは彼を応援していました。彼には付き合っている彼女、Uさんがいました。Uさんもわたしのクラスの教え子です。

T君が留学してしばらく経ってからのことです。Uさんが職員室のわたしのところにやってきました。聞いてほしい話があると言います。彼女は目に涙を浮かべていました。

「先生、私、妊娠しているんです」そうUさんは言いました。「T君と君の子だよね」そう訊くと、彼女は頷きました。体調に異変を感じた彼女は、一人で産婦人科を受診しました。そこで医師から赤ちゃんを授かったことを知らされたのです。

彼女は、そのことを国際電話でT君に告げ「ふたりの子を産みたい」と言いました。「わかった。すぐ日本に帰る!」そうT君は答えたのですが・・・。しばらくしてUさんのもとにT君から電話がかかってきました。「ゴメン。帰れない」

T君が電話で母親にUさんとのことを告げると、母親は激怒しました。「子どもは堕胎してもらいます。帰ってくる必要はありません。しっかりアメリカで勉強してきなさい」それが母親の電話での言葉でした。

U子さんの母親は、Uさんの気持ちを受け入れました。ですが、T君の親は、絶対にT君が高校生の身で父親になることは認めないと言っています。Uさんの家庭は母子家庭で、経済的なゆとりがありません。「わかりました。娘には授かった子を産んでもらい、当方で養育します。お宅にはご迷惑をかけません」と言えない状況でした。

医師はUさんに、こう告げていたといいます。「あなたの子宮には問題があり、今回堕胎すると、もうこれから子どもは授からないかもしれません」それでもU子さんは、産みたかった子を下ろさざるを得ませんんでした。

留学から帰ってきたT君は、Uさんに笑顔でまずこう言ったそうです「あの時のことは忘れて、また仲よくしよう」この言葉を聞いて彼女は悲しみの底に突き落とされました。その悲しみをUさんがわたしに語ったとき、わたしは言いました。

「君は授かった子どものことを絶対に忘れてはいけない。命日には、ミルクやお菓子を供えて『産んであげられなくて御免ね』と手を合わせるんだよ」

彼女は「はい」と言い、少し元気になったようでした。あのとき、わたしはまだ僧侶ではありませんでした。今のわたしだったら、T君も引っ張ってきて、ふたりと一緒に、水子の供養をしたのですが。

ふたりはまた交際を開始しましたが、ほどなくして別れたようです。

物質中心主義の現代、悲しみも心の痛みも感ずることなく堕胎する人も少なからずいるようです。死後の子どものいのちをも慈しみ、供養し祈る文化。そのような文化を大切にしたいと思います。

ですが一方では「あなたが不幸なのは水子の祟りです。水子供養をしないと大変なことになります」と言って脅し、法外なお金を巻き上げているエセ霊能者やエセ僧侶がいるのも事実です。不安をあおられて、だまされてしまう人は多いようです。日本の供養の文化には、正の側面も負の側面もあると言えましょう。

わたしが、一歳になったばかりの弟をなくしたことは前に記しましたが、わたしには、この世に誕生できなかった兄もいます。母は体が弱くて、出産に伴い自身の命が危うくなりました。やむを得ず、母は泣く泣く兄を下ろしました。弟のことを記したことで、兄がいたことを思い出しました。この兄にも供養の思いを向けることで、さらに私の心は癒された気がします。

仏の道から外れない、真のたましいの供養をしていきたい。そうわたしは思っています。