体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

草や木、生き物の供養がしたい

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正月、長男一家が住む家に行きました。昨年から居住し始めた家で、初めての訪問でした。庭の崖下は谷間で川が流れており、その向こうは鬱蒼とした森です。庭には何本かケヤキなどがそびえ立っています。

長男は、都心部の大学に勤務していますが、毎日出勤するわけではなく、自然の中で子育てをしたいと考えて、田舎暮らしをすることを決めたようです。

それはよいのですが、わたしは長男の家の庭に出ると、「供養をしたい」という強い思いに駆られました。かつて、そこに住んでいた人の供養ではありません。草木や動物の供養、土地の供養です。

庭の隅にはたくさんのマキが積み上げられていました。長男が伐採した木を割ったものです。彼は、庭でヘビに遭遇して殺したこともあると言っていました。生きていく上では、生き物を殺すのが止むを得ないこともあります。生き物を殺し、食することで、わたしたちは生を保っています。

ですが植物にも動物にも命が宿っています。その命を奪ったことに対する供養(慰霊)の思いは大切です。

長男の家の庭に立つと、生き物の悲しみのようなものが、わたしの胸に迫ってきました。

帰宅して、わたしは御宝前(御仏の前)で草木やヘビの供養をしました。お題目(南無妙法蓮華経)を唱えていますと、悲しみが癒され、胸中が温かいもので満たされていくことを感じました。

供養をすると、供養の対象だけではなく、供養する人自身も癒されていきます。自分や家族が幸せに生きていくためにも、供養のこころは大切です。

「自然保護」という言葉がありますが、わたしはこの言葉に違和感を覚えます。わたしたちは、自然の恵みをいただかなければ生きていけません。自然に感謝し、共に生きていこうという思い。それが供養の思いであると思います。自然の保護ではなく、自然の供養をしたい。それが、わたしの切なる思いです。