体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

霊的現実主義ー霊を感じる人へー

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霊的現実主義。これはまるで「白い黒熊」みたいな言葉ですね。

「現実主義」というのは、目に見える世界にしっかりと足を着けて生きる在り方です。一方「霊的」は、「あの世」という、目に見えない不可知の世界と深いつながりのある言葉です。

「霊的」と「現実主義者」という言葉を結合させるのは、大きな矛盾であるように思われます。ですが、わたしは、ためらうことなく自身のことを「霊的現実主義者」と呼んでいます。

教員時代、わたしは勤務校で、一般都民を対象とした「教養としての仏教」という公開講座を開講していました。職員室から公開講座の教室へ出かけるときのことです。仲のよい同僚が、仏教書が詰まっているわたしのカバンを持って、冗談を言いました。「随分と重たいカバンだな。いったい何体の仏像が入っているの」

だまされて仏像や壺を買わされた被害者が続出していたころの話です。

「あなたが不幸なのは怨霊のせいです」とか「供養をしていないので先祖が怒っています」などと脅して、仏像や壺などを売りつける霊感商法は、いまでも存在しています。「除霊をしなければ、あなたや家族のいのちが危ない」などと言って高額な金銭を巻き上げる霊能者も後を絶ちません。

そのようなことがあるので、伝統仏教の教団は、霊障とか除霊、浄霊と言った言葉を極力排除しています。特に天台、真言密教日蓮宗の中には、霊的な障害もあることを感じている僧侶もいるのですが、霊感商法と同一視されるのを避けて、霊にまつわる言葉の使用を公式には避けています。

「教養としての仏教」の受講生の中には、こんなことを言う人もいました。

「お釈迦さまは、死者のためではなく、生きている人間のために教えを説いたのだと思います。霊的なことを言うから、おかしな問題が起こるのです」

浄土真宗教学研究所は次のような見解を示しています。

「『霊障』や『祟り』を持ち出して日常生活の問題を処理しようとすることは、人間としての存在についてしっかりとした見解を持てないままに生きていることである」

何か問題が起きた時に「霊」を持ち出すのは、生きている現実を無視したり、軽視したりすることにつながなるというのが浄土真宗の見解です。

たしかに霊感商法は、人の弱みにつけこんだ悪質な詐欺です。霊的なことを言わないのが洗練された宗教だと多くの人(特に知識人)は思っています。

しかし、現実に霊が視えたり、霊を感じたりする人はいるのです。わたしは教員時代、霊をはっきりと感じる生徒や、教員、校長と出会ってきました。みな心身を病んでいる人ではありませんでした。まっとうで健全な人たちです。

このような人たちが、霊を感じることについての悩みを伝統仏教の僧侶に相談しても、ほとんどの場合、まともに相手をしてもらえません。精神疾患ではないかと疑われることもあります。それゆえ霊を感じる人たちは、おかしな人と思われることを恐れて、そのことを隠しています。

わたしが霊について理解のある仏教者であることを知っている、霊を感じる人たちは、そっとそのことをわたしに打ち明けてくれたのです。

霊が視える校長に「まったくそのことを知りませんでした」と言うと、校長は「職員会議で言える話ではないだろう」と言っていました。

わたしは、霊を否定することこそが、生きている現実を無視したり、軽視したりすることにつながると考えています。

霊感商法は言語道断ですし、人生を切り拓く努力をせず、苦しみを霊のせいにして現実から逃避する生き方は否定します。ですが霊的世界としっかりと向き合うことで、はじめて乗り越えられる問題もあると、わたしは認識しています。

つい先ほども、ある方から「斉藤大法上人に縁者のたましいの供養をしていただいたら、長年苦しんでいた身体の問題が解決しました。不思議です」といった内容の報告をフェイスブックで受けました。これを単なる偶然と思う人もいるでしょう。ですが、大法上人の弟子である、わたし自身も、たましいの供養をさせていただいている中で、さまざまな霊的な体験をしています。

霊は空想上のものではないと認識して、わたしは僧侶として生きています。伝統仏教の僧侶の語る「浄土」は、大方が観念的なものです。ですがわたしは「あの世」を実際に感じながら供養をさせていただいています。ということで、わたしは、みずからを霊的現実主義者と呼んでいるのです

ここで日本における霊的現実主義者の大先達を紹介したいと思います。加藤清氏(故人)です。

加藤氏は、1921年、神戸に生まれ、京都大学医学部を卒業。72年に国立京都病院に精神科を設立し、医長となりました。精神医学界の指導者やセラピストを多く育てた精神科医です。

加藤氏は霊能者と協働して、患者の治療に当たってきました。わたしの師匠、大法上人も精神科医ですが、精神科医の中には、霊的な存在を否定せず、しっかりと受け止めてクライアントと向き合っている医師もいるのです。

もちろん加藤氏と協働する霊能者は、霊能者なら誰でもよいというわけではありません。まず加藤氏は、霊能者にロールシャッハテストなどの心理学的なテストを行い、霊能者を精神医学的に詳細に調べます。そしてテストの結果を本人に告げ、霊能者との信頼関係を築いていきます。加藤氏は、その上で然るべき霊能者と役割分担をしてクライアントを癒してきました。

加藤清氏の精神科医としての仕事については『この世とあの世の風通し ー精神科医 加藤清は語るー」(春秋社刊)に詳しく書かれています。

世の中には、霊を感じてしまうことを隠し、隠れキリシタンのように生きている人が少なからずいることを、わたしは知っています。わたしはそのような人たちを応援してきました。

霊を感じる人を勇気づけたい。そう思ってわたしは僧侶として生きています。