体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

死んだらどうなるの

前回、「新しいかたちのグリーフケアー死後も人は生きています-(1)」という記事を載せました。その続編を書こうと思ったのですが、その前に「死」というものについて記してみたくなりました。

教員時代のことです。カラオケBOXでメロディー付きの般若心経を歌えるという情報を得たわたしは、数名の同僚とカラオケBOXに行った折、それを掛けようとしましたが、全員から止められました。みんなで楽しんでいる時に、死を連想させるお経を歌うの止めてほしいというのがその理由です。多くの人にとって、死とは忌まわしいものであると言ってよいでしょう。。

縄文から弥生に変わる時代、中国の徐福という人物が秦の始皇帝の許しを得て、大勢の者を従えて不老不死の薬を求めて旅に出たという伝説があります。徐福は日本にやってきて、その子孫が日本で秦(はた)という姓を名乗ったとも言われています。

不老不死は大昔から人々の憧れであったようです。

いっぽうでは、「死ねないことへの嘆き」についての伝説もあります。八百比丘尼(はっぴゃくびくに)の話がそれです。

昔、ある若い女性が、それと知らず人魚の肉を食べてしまったところ、老いることがなくなり、夫に何人も死に別れ、親しい人たちも、次々と死んでいき、死ねないことの悲哀を感じて出家して尼僧となったという話です。

自然の流れから外れて不老不死を得るというのは、たとえ若々しく美しい肉体を保ち続けたとしても、苦しいことであるというのは、分かる気がします。

最近、「不死妄想」(コタール症候群)という症状が存在することを知ってびっくりしました。「自分は死なないんじゃないか」。そんな妄想に取り付かれて、ひどく苦しんでいる人がいるというのです。

わたしは幼少期、「朝、目覚めることなく死んでいたらどうしよう」と思って、夜、眠るのが怖かったことがありました。

死ぬことへの恐れを持つ人がいれば、「死なないのではないか」という妄想に取り付かれて苦しんでいる人もいます。中には「死とは自分のすべてが消えて無くなることである」と考えながら、そのことを諦観し、受容している人もいます。死の捉え方は人さまざまです。

では、今、わたしはどう死を捉えているのかというと、幼少期とは異なって、死後も人の意識、個性は存続していると考えています。これは「考えている」というより「事実であると認識している」と言った方が適切でしょう。仏道を歩み、唱題修行をしていく過程のなかで、「死後の生」は、わたしにとって朝日が東から上って西に沈むのと同じくらい、当たり前のこととなっています。

「現代人に必要なのは、死では終わらない“物語”である」。そう言う僧侶もいます。ですが、わたしは「死後も人が生き続けること」は“物語”ではなく“現実”であるという前提のもとに僧侶として活動しています。。

さて、では「人は死なない」という認識を得ることができれば、人は心からの平安を得ることができるのでしょうか。

今は亡き母が、わたしから、死後も意識は存続しているという話を聞いて「そうなのね」と安堵の表情を見せたとき、わたしはこう言いました。

「死んでも安心はできないかもよ。あの世から、この世で僕や孫が困ったり苦しんだりしているのを見たら、やきもきして、気の休まる暇がないんじゃない」

それを聞いて母は「それもそうねえ・・・」と言っていました。

実際、供養していると、物や人に執着していたり、誰かに恨みを抱いていたりして苦しんでいる御霊(みたま)の思いを感じることがあります。

今、深い安らぎの中にいれば、死後も深い安らぎの中。今、誰かに深い恨みをいだいていれば、死後も深い恨みの中。今の思いがすべて。そうわたしは思っています。

嫉妬の炎に狂って死んだ人が、死後、僧侶の供養の読経で、すぐに柔和な慈悲深い仏となるといっなことはありません。そのような人にとっては、むしろ死が「無」であることの方が救いとなるのかもしれません。

本当に深い喜びと平安の中に今、在ること。そような状態になる以外に死にまつわるあらゆる不安や苦しみを超える道はないでしょう。

では、どうしたらその喜びと平安を得ることができるのでしょうか。わたしは、唱題がそれをもたらしてくれることを実感してきました。

肉体を超えた、不生不滅の「わたし」。その「わたし」に出会うための実践行が唱題です。この実践によって生死を超えた「わたし」と出会い、平安と喜びを得ることができる。このことを多くの方にお伝えしていきたいと思っています。