N君の背後の霊から、久しぶりに、N君とわたしにメッセージが届きました。
「背後の霊からのメッセージ? なにそれ。可笑しな話をしないで」そんな声が聞こえてきそうです。
N君は、教育委員会から任命された指導主事。専門の学問分野でも実績を挙げ、二児の父親でもあり、社会から信頼されている人物です。
わたしがある高校で生活指導部主任をしていたころ、彼は右腕となって、わたしを支えてくれた、成り立ての教員でした。
そのN君は、わたしに、自分が霊を感じる体質、ミーディアム(霊媒)であることを、出会って早々に話してくれていました。
「信じられない」という人も多いでしょうが、心身共に健常で、霊を感じたり霊が視えたりする人は、その程度はさまざまですが、少なからずいます。多くの場合、当人がそのことを隠しているので、知られていないことが多いのですが。
N君の背後にいる霊が、いわゆる未浄化霊ではなく、大和時代かそれ以前にこの国に生きた、高い精神性を有している古代霊であることは確認済みです。
N君はインスピレーション霊媒です。霊からのメッセージをインスピレーションで受け取ります。昨日、渋谷で数年ぶりにN君と会って、古代霊さんからのメッセージを受け取りました。N君は霊媒として未熟なため、メッセージを一連のまとまった形にするのは苦労します。
N君の背後の古代霊さんのメッセージの主旨は以下のようなものでした。
「かつて、この国の民は、自然と共に生き、産土(うぶすな)の神と呼ばれる、見えない世界の存在に対して、敬いと感謝の念を持って生きていた。
それが、ある時期を境にして、その思いは一瞬のうちに衰微してしまった(ある時期とは、昭和三十年代の高度経済成長の時代を指しているようです)。
今、過疎化の進む地域では、神は祀られなくなり、顧みられることもなくなった。民の目は物質のみに向けられ、かつてこの国の民が持っていた霊性は失われつつある」
このことを、N君の背後にいる古代霊さんは案じていました。
そういえば、わたしの妻は、一年ほど前に、山形県の山奥にある生まれ育った地に赴いたことがあるのですが、そのときのことを、今は神は忘れ去られ、まったく神の護りも感じられず、自然は豊かであっても、荒涼としたものを感じたと、わたしに語っていました。
鎌倉時代の武家法、「御成敗式目」には、こんなことが書かれています。
「神を敬う人々の純粋な思いに依って、神の威光は輝きを増す」
今、人から顧みられなくなった土地の神は、威光、力を失って埋没しつつあるのかもしれません。
私は僧侶として人の霊の供養をさせていただいていますが、「産土の神(自然霊)にも思いを重ねてほしい」というのが古代霊さんの思いであるようです。
土地の神々の供養、鎮魂。このことも視野に入れていかなければならないと考えています。
N君と出会った昨日、別れ際に渋谷駅の構内に貼られてあるポスターの言葉が二人の目に入りました。
それは「欲、欲、欲。人間ですもの。だれにだって欲がある・・・」という言葉でした。
古代霊さんは「欲を煽る物質中心主義の蔓延で、人々の心は、霊的な存在から遠く離れ、この国はおかしくなってしまった」ということを、ポスターを通して私たちに伝えようとされたようです。
霊性の復興。このことを大切なテーマとして、僧侶として活動していきたいと思っています。