体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

お題目のすすめ ー 13歳からの南無妙法蓮華経 ー  ・その3

 


 今日は、わたしの修行の師、斉藤大法上人のところに新年のご挨拶に伺ってきました。

 大法師は、私が瀬野泰光上人から、日蓮宗妙光結社・法華道場を継承することとなったを喜んでくださり、今後のことについて、いろいろとお話くださいました。

   不肖の弟子を慈しんでくださる、泰光上人、大法上人、二人の師匠に、わたしは朝夕のお勤めのときに、いつも、かたじけなく思って、師匠の法体健全を祈って合掌しています。

今回アップした内容は、ケンタとの合掌、南無についての対話です。

 

              南無ってどういうこと?

数日後の日曜日、ケンタは、私が教導(信徒を教え導く僧侶)を務める日蓮宗妙光結社・法華道場にやってきました。訪問ははじめてです。 

ケンタは、道場に入ると、まず、たくさんの漢字が書かれている大曼荼羅ご本尊に目を止めました。

「大きいですね。真ん中に書かれているのは南無妙法蓮華経ですか」

「そのとおり。これはご本尊といってな、礼拝の対象だ、この道場の中心となる、もっとも大切なものなのだよ。君の家は日蓮宗だから、家のお仏壇の中にも、同様のご本尊がお祀りされているはずだ。ご本尊については、いずれ詳しく話をしよう」

私は、ケンタに座布団をすすめ、彼と向き合って座りました。

「足は楽にしていいぞ」

そう言うと、ケンタはホッとしたようで、正座していた足を崩しました。

「では、さっそく話を始めよう。最初に、南無妙法蓮華経を今の日本語に置き換えることにする。南無妙法蓮華経はナム・ミョウホウレンゲキョウと分けられる」

「そうだったんですか。ボク、ナムミョウ・ホウレンゲキョウ」だと思ってました。

で、南無って『南が無い』っていう意味ですか。」

「そうではないんだな。南無は、インドの古代の言葉、サンスクリット語のnamasに漢字の音を当てたものだ。アメリカを漢字で書くと亜米利加となる。それとおんなじことだ。

「そう言えばボク、小さい女の子が手を合わせて『ナムー』って言ってる仏壇のコマーシャルを見たことがあります」

「人は、尊いもの、敬うべきもの、あるいは感謝すべきものと向き合うとき、手を合わせる。あの女の子は、お仏壇のご本尊、ご先祖に南無と手を合わせているのだね」

「南無とは『敬います』という気持ちを表した言葉なんですね」

「そのとおり。勉強の開始時と終了時に、ケンタと私は向き合って合掌をすることにしているよね。」

「はい。ボク合掌は、握手とおんなじで、ただ『よろしく』という気持でするものだと思ってました。でもそうじゃなくて、ほんとは合掌は敬いの心を込めてするものなのですね」

「そうだ。これからは相手に敬いの気持ちをもって合掌しよう」

「わかりました。でもなぜ先生はボクに合掌するのか、わかりません。ボクは生徒で中学二年の子どもですよ。生徒のボクが先生に合掌するのは理解できますけど」

「なるほど。だが合掌している仏像もあるぞ。この仏像の前にケンタが立つと、仏さまがケンタに合掌していることになる。これも理に合わないと思うかもしれないね。このことについては、またあとで話すとしよう。

南無妙法蓮華経の南無も敬いと感謝の気持ちを表現したものだ。

南無妙法蓮華経の南無は『敬う対象を絶対的に信じて、全身全霊でその懐(ふところ)に飛び込んでいきます』という表明なのだよ、敬う対象は妙法蓮華経だ。妙法蓮華経について話す前に、ちょっと休憩しよう」

そう話すと、私はポットの紅茶をケンタと自分のカップに注ぎ、合掌してから紅茶を飲んで一息つきました。ケンタも私を見て、合掌してからカップを手に取りました。