体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

「瀧の宴」に行って来ました

浅草の日蓮宗寺院・壽仙院で行われた、芸術家達による和文化イベント「瀧の宴」に行って来ました。

書家でもある法友、梅谷拓宣(号・虹嶺庵 彩雲)上人が観衆の前で、軸に書を揮毫するパフォーマンスを見るのが目的でしたが、終了後の懇親会では複数の素敵な方たちとお話させていただき、たくさんの刺激をいただきました。

まさに激しく流れ落ちる瀧の飛沫を浴びたような爽快さを感じるひと時を過ごしました。

「いったい何を書くのだろう・・・」。そう思って梅谷上人の筆を持つ手を見つめていると、揮毫された文字は「常懐悲観 心遂醒悟(じょうえひかん しんすいしょうご)」の八文字でした。

これは法華経の中にある言葉で、「常に悲しみを懐(いだ)いていれば、心は遂(つい)には目覚めて悟りに至る」という意味です。

わたしは「悲しみには力がある」と思っていて(このことについては、また別の記事で記します)、この法華経中の言葉は、わたしの胸に深く刻まれているものでした。

そのようなこともあって、梅谷上人が揮毫を終えた後、「この書はどうするんですか」と訊いてみました。すると「どうしようかな・・・」という返答。

そこでわたしは、厚かましくも「ください。購入します」とお願いしました。

すると梅谷上人は笑顔で言いました。「あげます。お金はいりません」。

ということで今、我が道場には、彩雲先生(梅谷上人)の筆になる「常懐悲観 心遂醒悟」の軸が掛けられています。その前には文机を置き、法華経を安置しました。

今朝、洗濯機に洗濯物を放り込んでから、この書の前に坐しました。心が洗われるような気がしました。

身を清潔にすることが大切なのは言うまでもありませんが、心を洗い清めることも忘れてはいけないと改めて思いました。

唱題、南無妙法蓮華経を唱えることは、心を浄化するための最勝の法であるというのがわたしの信です。

ご縁のある方々と共に唱題をどこまでも深めていきたい。そう思っています。