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カルト問題で言及されていないこと その1

阿倍晋三元首相銃撃事件が発生した後、にわかにカルトが大きな問題として浮上しました。

宗教を扱う「心の時代」というNHKの番組があります。そこではカルト問題についての緊急番組が放映され、カルト問題に詳しい6名の識者による討論が行われました(この番組はYouTubeでも配信され、『徹底討論!問われる宗教とカルト』というタイトルで書籍にもなっています)。

6名の出演者のうち、評論家でカトリック信徒の若松英輔氏を除いた5名は宗教に関わる研究者ですが、そのうち3名は聖職者(1名が浄土真宗の僧侶、2名がプロテスタントの牧師)でもあります。

宗教の外側に身を置いて研究しているのではない、宗教家が半数いたわけですが、テレビ討論では全く言及されていない宗教とカルトの問題がありました。

それは霊力の問題です。具体的に言えば、加持や祈祷は、思い込みとかプラシーボ効果(偽薬効果)といったものではなく、実際に顕著な効力をもたらすことがあるという問題です。

一つ間違えると加持、祈祷は、呪詛となることもあり、実際に人生を破壊しかねない力を持っており、それは諸刃の剣である。そのようにわたしは認識しています。

6名の方たちの宗教とカルトについての討論は、得るところが大きかったのですが、霊力がカルトの深い闇となっている場合があることにも目を向けてほしいと、わたしは考えています。

討論で霊力について触れられることのなかったのは、出演された僧侶、牧師が祈祷とはほとんど縁のない宗派、教派に所属しているからなのかもしれません(ちなみに仏教で霊力と深い縁のある宗派は天台、真言密教日蓮宗です。キリスト教においては、プロテスタントよりもエクソシストが活躍しているカトリックの方が霊力に縁があるといってよいでしょう)。

霊力などと言うと「あなたは、非近代的な迷信をいまだに信じているのですか。あきれました」と私の言を一蹴される方もあるかもしれません。

そのような方には、つい最近刊行された『法力とは何か ―「今空海」という衝撃― 』をお読みになっていただきたいと思います(この書で言う法力は、霊力と言い換えてもよいものです)。

著者は、大阪大学大学院人間研究科教授でユング精神分析家である老松克博氏。老松氏は、「今空海」と呼ばれている、ひとりの高僧とその周囲の人々を取材をし、深層心理学者の眼で法力の謎に挑み、その核心をこの書で照らし出しています。

書中、「ひとりの高僧」はX阿闍梨と記され、本名は明かされていませんが、まぎれもなく実在している、桁外れの法力を発揮している現代の僧侶です(わたしはこの高僧の名を存じ上げていて、紹介したいという思いもあるのですが、老松氏の著作に倣って、実名は記さないことにします)。

X阿闍梨の法力について、ここでは「国家存亡の危機を救うような信じ難い力」と言うに留めておきますが、宗教世界を探訪してみると、霊力の存在は無視できなくなります。それは昔話に出て来る不思議なものではなく、現代にあって効力を発揮している実在する力であるのです。

テレビ討論で若松氏は、宗教がカルト化しないために、絶対に超えてはならない「壁」の一つとして「恐怖」を挙げています。

「この宗教に入信しないと、あなたは間違いなく不幸になります」と脅された場合、「恐怖で人を縛りつけるような宗教はニセモノだと思います」とキッパリと拒否することは大切でしょう。

ですが、それで終わればよいのですが、その宗教内に霊的な力を行使する教祖や信者がいた場合、その力による被害を受けることもあるのです。

霊力のネガティブな側面については、心理学者で神道系の宗教者でもある中村雅彦氏の著作『呪いの研究・拡張する意識と霊性』などに具体的な事実が挙げられています。

人を生かすことも殺すこともできるのが霊力です。わたしは仏道修行の過程で、この霊力の光と闇の両面を体験してきました。霊力の問題は、仏道を歩む上で避けては通れない問題であると感じています。

また、宗教とカルトの問題を語る上でも言及されるべき問題であると考えています。