体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

祈りの奥義 ー目覚めれば浄土ー

日蓮聖人の主著『観心本尊鈔』で、日蓮聖人は『法華経』の教えを踏まえて、次のように記されています。簡単には信じられない文です。 私たちの住むこの世界は、火災・水災・風災に脅かされることもなく、成立し、変化し、破壊され、無に帰するという宇宙の循…

無願の唱題

この世の苦しみは、貧・病・争、すなわち、貧しさ・病気(怪我も含める)・人との争い(対人関係)の三つの範囲に収まると言われます。戦後、多くのお題目系の新宗教は、「南無妙法蓮華経と唱えれば、貧・病・争から解放されて救われる」と説き、急激な発展…

南無妙法蓮華経それ自体の中に入り込む

斉藤大法上人の指導の下で変化したわたしの唱題。それは大法師の言葉を借りれば、自我-発電的唱題から宇宙-発電的唱題へのコペルニクス的転換であったと前回記しました。 これはどういうことなのか。わたしなりに表現すれば、わたしの意志で唱えていた唱題が…

南無妙法蓮華経を唱える その2

お釈迦さまの修行の内容とその結果得られた大いなる悟り。それを、ただ南無妙法蓮華経を全身全霊で唱え続けるなら、お釈迦様は、自然とお譲りになられる。 日蓮聖人はそう明言されています。参考までにその原文を掲載しておきます。 釈尊の因行果徳(いんぎ…

南無妙法蓮華経を唱える その1

『法華経』を理解せずして南無妙法蓮華経を唱えても意味はない。「南無妙法蓮華経」というのは「法華経に南無します」という意味なのだから。「南無」とは「いのちを託します」ということ。理解できてもいないものにいのちを託すことは愚かである。 『法華経…

南無妙法蓮華経とは何か

南無妙法蓮華経とは何か。このタイトルで法話をすることとなり、その準備をしています。それでブログを三日間更新することができませんでした。 このようなタイトルでお話をするのは、「身の程をわきまえていない行為である」という自覚はあります。ですが、…

こころの表面と本当のこと

桜井章一さんをご存じでしょうか。麻雀の裏プロという真剣勝負の世界で二十年間無敗の記録を作った伝説の勝負師です。 ある日、桜井氏が街中を歩いていると、明らかにやくざ者と思われる若者の肩に自分の肩が触れました。 「オイ、おっさん、何処見て歩いて…

願望実現と仏道

昔、あるところに「大麦小麦二升五合(おおむぎこむぎにしょうごんごう)という、おまじないの言葉を唱えて、エイヤッと気合をいれて病人を治している拝み屋のお婆さんがいました。霊験あらたかだということで、遠方からも病人が訪れていました。 ある時、お…

頑張ってはいけない

一生懸命に頑張ってはいけない。これは、唱題(「南無妙法蓮華経」を唱える修行)をする自らへの戒めです。 かつて高校の教員であった時、生徒に「頑張ってはいけない。努力してはいけない」と言ったことは一度もありません。わたしは、教え子にいつもこう言…

天才

伊東明瑞(いとう めいずい)という書家がいます。明治22年に和歌山県に生まれ、2歳で漢学者、南海鉄山に師事。幼くして、古典を暗記し、驚くべき書の才能を発揮しました。5歳の時には明治天皇の前で書の腕前を披露し、天皇を驚嘆させています。 山口県の…

定年は臨終時 

葬儀会館で、葬儀の法要を営んできました。 わたしは、お導師(中心となる僧)の脇で、読経、唱題をしましたが、椅子に座ろうとした時のことです。 読経の際にゴーンと打ち鳴らす鏧子(けいす)の棒に衣の袖が触れて、棒が床に落ちて、転がって行ってしまい…