体験する仏教  

ずっと、ずっと求めていたブッダの智慧

2022-01-01から1年間の記事一覧

道場を継承します

瀬野泰光上人の日蓮宗妙光結社を、泰光師がご高齢のため、拙宅に移転し、継承することとなりました。先日、そのためのリフォームが終わりました。 泰光師は、わたしを得度に導いてくださったお師匠様です。 結社というのは何人かの人が共同の目的のために作…

世界の平和を祈って妻から笑われました

遥かなる昔から人々は平和を祈ってきました。ですがいまだに世界では戦乱が続き、世界平和は樹立されていません 戦乱でロシア人によって夫が殺されたウクライナ人の女性が、ロシア人を撃ち殺したいと語ったという話を聞きました。この世に渦巻いている、怒り…

日常生活即修行

昨日、友人から電話があり、「最近、あまりブログを更新していないけれど、どうしたの?」と訊かれました。「忙しいんだったら、短文でもいいから、毎日書き続けることが大切なんじゃないかな」というアドバイスも、もらいました。 持つべきものは友です。「…

新しいかたちのグリーフケア ー死後も人は生きていますー(2)

僧侶がグリーフケアをするときに注意しなくてはならないことがあります。それは求められてもいないのに仏教の教えを説いてしまうことです。布教に熱心な僧侶がやってしまいがちなことです。 「諸行は無常です」。「会いし者は、いつか離れることが定めなので…

死んだらどうなるの

前回、「新しいかたちのグリーフケアー死後も人は生きています-(1)」という記事を載せました。その続編を書こうと思ったのですが、その前に「死」というものについて記してみたくなりました。 教員時代のことです。カラオケBOXでメロディー付きの般若心…

新しいかたちのグリーフケア ー 死後も人は生きています ー(1)

大切な人を亡くした深い悲しみ。それを癒すことをグリーフケアといいます。「グリーフ」は「悲嘆」を意味する言葉です。 昔はこの仕事を僧侶が担ってきたのですが、特に都会では菩提寺を持たない人も増えてきて、葬儀後、僧侶がグリーフケアをすることは減っ…

自己への信

わたしは唱題(南無妙法蓮華経を唱えること)をしながら、自己への信を深めています。その信とは、「わたしの内には仏性(仏としての本質)がある」という信です。 唱題をし、この信を深めていくためには、小島弘之を捨てる(辞める)覚悟をすることが必要だ…

「小島弘之を捨てられますか?」と聞かれたことがあります

「あなたは小島弘之を捨てられますか?」そう、ある瞑想家から質問されたことがあります。 「今すぐ捨てなくてはなりません」ということではなく「捨てる覚悟はできていますか」という意味で、こう質問されたようです。 江戸中期の僧侶、白隠慧鶴(はくいん…

お題目の真髄・その2 ー 仏の子であることに目覚める ー

ー 前回の記事で、次のように記しました。 「娑婆即寂光」を身体(からだ)で受け止め、それが身に染みるようになったのは、令和元年の12月、斉藤大法上人のもとで唱題をしはじめてからのことです。 「娑婆即寂光」とは、以下の日蓮聖人の『観心本尊抄』の言…

お題目の真髄 ー 嵐の中に微笑んで立つ ー

なぜお題目を唱えるのか。言うまでもなく、それは幸せになるためです。では幸せとは何なのでしょうか。 親しくさせていただいている、お題目の信心をしている老婦人は「お題目って本当にありがたいのよ」といつも仰います。柔和で人々幸せを祈っている素敵な…

お念仏とお題目

同じ「となえる」でもお念仏(南無阿弥陀仏)は「称える」、お題目(南無妙法蓮華経)は「唱える」と表記します。 わたしは、今は日蓮宗の僧侶となって、日々お題目を唱えていますが、実家の菩提寺が浄土真宗であったため、昔はお念仏を称えていました。その…

[元気になるオンライン仏教カウンセリング」を始めました

「 看護師をしている、二十代後半の女子の教え子の相談に、Zoomを通して乗りました。彼女は、患者本位ではなく営利本位のブラック病院に勤めていて、身も心も疲れ切っている状態でした。相談の内容は、彼女の今後の進路についてでした。 Web会議ツールという…

いのちに目覚める ―「怪しげな本」と出会って ―

今、書棚から『超念波 ー運命開発の最高峰ー』という書物を引っ張り出してきました。なにやら怪しげなタトルの本です。表紙には「死人が蘇生、子宝に恵まれる、選挙は必ず当選・・・」などと記されていて、いかがわしさが漂っています。 妻は、雑多に本が並…

幸福ってなんだろう?

, 昨日、東横線、自由が丘駅のホームでのことです。白い杖を持った目の見えない10代の男の子が母親であろう女性の手を握って、笑顔で楽しそうに話をしているのを見かけました。 男の子は、明るくて前向きなき雰囲気をまとっていました。目が見えないという自…

さまざまな祈り・祈りの仲間

祈りは特定の宗教を信じていていなくてもできます。分子生物学者の村上和夫博士は、神仏をサムシング・グレート(何か偉大なるもの)と表現されていますが、そのような存在に、よいことが起こるように願うのが祈りであると言ってもよいでしょう。 祈りには何…

永眠を願っている方への残念なお知らせ

死んだ人を「仏さん」と言うことがあります。死ぬことを「成仏する」と言うこともあります。仏とは一切の執着から解き放たれた存在。では死んだらすぐに、その仏に成ることができるのでしょうか。そうであるのならよいのですが。 死とは、永眠。夢も見ること…

わたしって何?

僕って何だろう?。そんな疑問を持った中学生の男の子がいました。 「お母さん、僕って何なの」 「あんたは、わたしの子。男の子で○○中の生徒でしょ。そんな当たり前のことを聞くなんて、あんた、どうかしちゃったんじゃないの」 「お母さん、それは僕の性別…

「ありがたいお説教」をしないオンライン仏教講座 開講のお知らせ

たいがい、長い話をすると嫌がられます。教員時代、わたしの話は長いので有名でした。 生活指導部主任として、始業式や終業式などで、壇上で生徒に話すことがありましたが、わたしの長い話は不人気ではありませんでした。それは「ありがたいお話」をしなかっ…

勝れた仏教瞑想 ー日蓮聖人の法華三昧ー

「優れた仏教瞑想 ー日蓮聖人の法華三昧ー」というタイトルを見て「それってどんな瞑想なの?」と興味を持たれたの方もあるのではと思います。 三昧(さんまい)は、瞑想を意味するインドの言葉「サマーディー」の中国語訳。法華三昧は妙法蓮華経(法華経の…

如来への祈り

高校一年生の教え子が、彼女と初デートをしたと報告をしてくれた時のことです。 「よかったね。で、何処に行ってきたの?」と訊くと、 「鎌倉です。兄が大学受験をするので、お寺で兄の合格も祈ってきました」とのことでした。 参拝したお寺の名を訊くと、何…

神さまへの祈り

神への祈りは届くのか。この問いに答えるには、どのような神を祈りの対象とするのかを明確にしておかなければなりません。 仏教では、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の、輪廻を免れることのできない六つの世界の頂点、天に棲む存在を神と呼びます。この神…

お知らせ・4月17日「世界を癒す24時間お題目リレー」で対談をします。

今回はお知らせです。4月17日(日曜日)、わたしの修行の師、斉藤大法上人と対談をします。 下のYoutubeをクリックすると、わたしの顔と声が視聴できます・・・が、そんなことはどうでもよいことでした。大法上人のお話と二人の唱題(話の伝後に唱題していま…

祈りは効くのか

祈りは効くのか。これは「人の意識は他者に影響を及ぼすことができるのか」と言い換えることもできるでしょう。 長男が幼稚園児だったころのことです。妻が長男について、「怪我でもしたのではないか、なんだか不安だわ」と言い出したことがあります。すると…

人はなぜ祈るのか

こんな道歌(仏の教えを説いた歌)があります。 みぎ仏左ひだりは我と合わす掌の奥ぞゆかしき南無の一声 「ゆかしき」は、「なんとなく心惹かれる。」、「懐かしい」といった意味です。古来、「右手は仏、左手は自分を表す」と言われてきました。合掌の姿は…

瞑想の真実

「ね、なぜ旅にでるの?」「苦しいからさ」 こんな一節が太宰治の『津軽』にありました。 わたしも昔、苦しくて旅に出たことがあります。 コロナ禍で今、旅をすることが困難となっていますが、自宅にいて、お金をかけずに苦しみから解放される方法が流行して…

無我ってなに? ー 心中の泉とつながる ー

知識人と呼ばれる人でも、ほとんどの人が釈尊の説かれた「無我」を正しく理解していない。そうわたしは思っています。 『広辞苑』で「無我」はつぎのように定義されています。 「我(が)の存在を否定すること。我は人間存在や事物の根底に永遠不変の実態的…

釈尊の祈り

釈尊は、世間一般で言われている祈りをなさいませんんでした。弟子たちにも「祈りなさい」と言われませんでした。釈尊がなされたのは、瞑想です。 国語辞典は、「祈り」をつぎのように定義しています。 ㊀〔自分の力ではどうしようも無い時に〕神仏の力にす…

世界を平和にする祈り ー 我が心の内なるプーチン ー

昨日、テレビのニュースでウクライナにロシアが軍事侵攻する様子を視ていると、妻がチャンネルを替えていいかと聞きます。こんな時は、決して妻を批判して「君は世界情勢が気にならないのか」などと言ってはなりません。家庭内戦争が勃発します。何よりも平…

何に祈るのか ー 南無妙法蓮華経の祈り ー

祈りについての記事に複数の方からコメントをいただきました。今の時期、祈りに関心を抱いている人が多いようです。 祈る際は、特定の宗教を信仰していない人でも、多くの場合、漠然と人の姿をした神や仏を思い描いて祈りを捧げているのではないでしょうか。…

祈りは届く

昔の話ですが、妻と居間で口論して、「もう君とは一生、口を利きたくない」と腹を立て、ふすま一枚隔てた隣室に引き籠ったことがあります。しかし、しばらくすると反省モードになり、「言い過ぎた。悪かったな」と、かなり深く悔いました。そして心の中で妻…